Kaienで実施しているプログラムの一つである『ようこそ先輩』は、Kaienの就労移行支援を修了し、実際に働かれている先輩方の生のお話を聴ける会です。本記事は、そのインタビュー動画の内容を編集し、記事にまとめています。
今回取り上げるのは、20代の終わり頃にADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム症)が発覚したKさん。発達障害*が発覚する以前は、自転車で70kmを移動して海を見に行く、北海道旅行中に仕事を辞めてそのまま1年間周遊するなど、自由奔放で波乱万丈な人生を歩んできました。そんなKさんに、生い立ちやKeienの就労支援での経験、現在の仕事などについてお話を伺いました。
インタビュー実施日:2024年10月19日
ギフテッドプログラムを受けるも不登校に
私はADHDとASDですが、発覚したのは20代後半でした。最初に私の生い立ちと、障害が発覚するまでのお話をさせてください。
私が生まれる前、両親は東ヨーロッパにいました。チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日に旧ソ連ウクライナ共和国で起こった事故)で被爆した可能性があるそうです。
両親が帰国した後、私は福島県福島市に生まれます。その後千葉県への引っ越しを経て、3〜4歳頃にアメリカの西海岸へ移住します。
幼少期はあまり喋りませんでしたが、やんちゃだったそうです。小学生の頃は、あまり友達が多い方ではありませんでした。
成績はそれなりに良く、小学校6年生の頃にギフテッドプログラムのために転校しました。しかし、それまでのんびりと暮らしていたためか上がったペースについていけず、1年間不登校になってしまったのです。
中学に上がる頃、アメリカの東海岸に引っ越すと同時に公立校に入学しました。ここでは、普通に過ごせました。
高校では、友達がいなかったり家でのトラブルがあったりなどで、学校に意欲がなくなり、次第にまた不登校になってしまいました。何もしない日々が続き、最終的には日本に帰国して現状の打開を図ることになります。
通学中に思いつきで、海を見に自転車で70km移動
17歳で帰国後、福島県の高校に編入しました。最初は新しい文化に戸惑いましたが、友達ができたこともあって高校生活を楽しめました。
成績も良かったのですが、興味がそれて学校をサボるようになりました。例えば、通学中に突然海に行きたいと思い、70km離れた仙台の海を見に行ったこともあります。また、剣道部だったのですが、朝5時に学校に忍び込んで素振りをして、7時には学校を抜け出してサボったこともあります。
出席日数が足りず進級が危ぶまれましたが、周りの助けのおかげでなんとか卒業できました。しかし、センター試験前日に受験校を難関校に変更したことで失敗し、浪人することになります。1年間の浪人後、大学に進学しました。
大学では学業に専念できず、3年留年して退学しました。大学には計4年間在籍していましたが、サークル・寮・バイトばかりの生活で、それなりに充実していたと思っています。
休暇で訪れた北海道で雪が見たくなり、そのまま退職
大学退学後は実家に戻ります。その頃実家は千葉県の浦安市になっており、近くにあった某有名遊園地のキャストを始めました。
社会保険も社内教育も充実していましたが、2〜3年目で「これをずっと続けたいか」と自問した結果、辞職して別の道を探すことにしました。
その後は派遣添乗員になります。半年間の国内添乗後、海外添乗も行いましたが、長い拘束時間と接客に疲れたため1ヶ月の休暇をとって北海道旅行に行きました。そこで雪が見たくなったので、そのまま退職します。
北海道を周遊したのですが、2〜3ヶ月でお金がなくなったので、旅館でアルバイトをしました。その後は外資系企業の人に「うちで働かないか」と誘われて断ったり、ラーメン屋さんに居候しながらお手伝いしたり、酪農ヘルパーになったりしました。
しかし、花粉症の私には初夏の花粉が辛かったため、退職して東京に戻ります。北海道を周遊してたのは合計1年ほどです。
母が別件で精神科を訪れたことをきっかけに発達障害と発覚
発達障害と診断されたのは、20代の終わり頃です。きっかけは、母が別件で精神科の先生を訪れた際に、私の話をしたところ「発達障害かもしれない」という話になったことです。
実は、小学校6年生で不登校になったときに精神科に連れていかれました。当時はADHDの典型的な多動性がなく、ASDの概念が広まっていなかったため、診断されなかったのだと思います。
Kaien秋葉原ではリーダーシップを身に付けた
その後、母がテレビで見たKaienを紹介してくれました。Kaien秋葉原にて体験を10ヶ月行い、入所を決意します。10ヶ月もかかった理由は、両親の会社を手伝っていたため、迷いがあったことです。
Kaienに在籍していた期間は1年2ヶ月です。2021年の12月に入所して、2023年の1月に卒業しました。
Kaienでは「自分をグループワークの中でどのように役立たせるか」を意識して訓練に望みました。特に週替わりトレーニングのリーダーや、オンライン店舗の店長などを経験させていただいたことは、とてもいい経験になったと思います。
部下の前では言動をはっきりすることが重要だと学びました。チームの動きを明確にしつつ、自分の判断に不備がないかのチェックにもなります。自分に過ちがあったら、素直に認めることも大切です。
現在の就労先に至るまでの経緯
就職活動には、最初はそこまで力を入れていませんでした。Kaienでの訓練が8割、就職活動が2割くらいの感覚です。障害者枠で通勤2時間以内であること、業界は絞らず事務系に挑戦すること、相談しやすいことなどを条件に企業を探しました。
そのとき、Kaienにサポートしていただいた志望動機のチェックや面接練習によって、とても自信がつきました。
最初に現在就労している企業を受けたのですが、エントリーシートの準備が間に合わず、このときは断念しました。その後、他社での実習を行って内定の話もいただきましたが「他の企業とも比べたいので考えさせてください」と言ったら取り消されてしまったのです。
その後、最初に断念した企業が再び求人を出していたため、再挑戦しました。書類審査→面接→インターン→面接を経て、内定をいただくことができました。
Kaienの支援員が常駐している職場で、安心してアウトプットを広げていく
専門はコンサルティングです。最初は9時から16時の時短勤務から始めました。1年かけて就労時間を徐々に伸ばし、現在は9時〜18時で勤務し、週3出社・週2在宅で仕事をしています。
上司以外は全員障害者枠でKaienの支援員が常駐しているため、お願いしたい配慮なども相談しやすい環境です。
また、自分の特性を共有できるシートが用意されており、書くのも読むのも自由です。みんなに特性がある前提で、静かにする・匂いに気をつける・休憩は自由など、オフィス内のルールがあります。
行っているのは、資料のマスキングや業務トレーニングです。資料のマスキングでは、重要な資料を社内で共有するため、センシティブな部分をマスキングしています。
2023年の年末頃から行っている業務トレーニングでは、新入社員に仕事に慣れていただいて、どういう仕事に向いているのかを判断しています。
目標は、業務改善を行って他のチームとも共有するなど、自分のアウトプットを広げることです。上司をひっくるめて、教育や開発したものをチーム内に浸透させる広報やインフラの整備などを考えて行っており、仕事を楽しんでいます。
発達障害の特性によるさまざまな困りごと
最後に、私の発達障害の特性による困りごとについてです。ADHDでは、ストレスになりそうなことを予見すると回避行動に出る傾向があります。例えば、宿題を提出しなければならないときにYouTubeを見て心を落ち着かせるのですが、明け方くらいにようやくやる気が出て取り組みだすことがあります。
自己刺激行動として貧乏ゆすりをしたり、達成感を感じにくかったりします。計画的に何かをやろうとしても、報酬を想像できないため、計画的に行動するのが苦手です。
ASDでは空気を読めなかったり、やり方のこだわりが強かったり、過ぎたことを反芻(はんすう)したりなどの特性があります。例えば反芻は、仕事中に自分の挨拶の仕方が気になると帰り道でずっと挨拶の練習をしていることがあります。
他にもADHDとASDの複合で、話の趣旨を忘れて話がそれやすい、いろんなプロジェクトに手を付けるが終わらせられないなどがあります。
また、診断されたわけではないですが、意識しないと人の言葉を理解できないためLiD(聞き取り困難症)があると思っています。
こだわりを執着になる前にどう手放すかが課題
業務の中で自分のこだわりが出て、愛着を超えて執着といえる状態になることがあります。その時に、こだわりをどう手放すかが課題です。手放しやすくするために、一つのことに専念するのではなく、スキルや業務を多様化しています。
もちろん、行うことを増やしすぎると先述した通り、どのプロジェクトも終わらなくなってしまうため、バランスが重要です。
これから就活をされる方は、周りに流されず、無理せずに進みたい道に進んでほしいと思っています。
所属拠点:Kaien秋葉原
※インタビュー内容については、表現を一部改変しています。
*発達障害は現在、DSM-5では神経発達症、ICD-11では神経発達症群と言われています。