発達障害者支援法が制定されてから、2024年で20年となります。これを受けてKaienは、「ニューロダイバーシティサミットJAPAN 2024」の第一弾として2024年1月1日にオンラインイベントを開催しました。
本記事では、「当事者家族が考える発達障害者支援法」をテーマとし、東京都自閉症協会副理事長の尾崎ミオさんにお話しいただいた内容を紹介します。
発達障害*者支援法の制定過程では、当事者家族や支援団体などの意見が反映される機会がありました。尾崎さんも、当事者家族の現状や意見を伝えた一人です。尾崎さんはまた、NPO法人東京都自閉症協会の一員として、発達障害者支援法に関わる活動も行ってきました。
尾崎さんは現在、東京都自閉症協会副理事長でニューロマイノリティの若者たちの居場所「世田谷区受託事業 みつけばハウス」も運営されています。また、本業である医療関係のライターとしてご活躍中です。
今回のセミナーでは、尾崎さんが発達障害者支援法に関わるようになったきっかけや、法律が施行された後の当事者家族や社会の変化、発達障害者支援法に対する期待や課題などについてお話をうかがいました。
本記事は障害をお持ちの当事者の方やご家族の方、就労移行支援に関わる企業や団体の方に向けて、セミナーの内容の一部をまとめたものです。ぜひご覧ください。
2024年1月1日開催のオンラインセミナー「当事者家族が考える発達障害者支援法 (講師:尾崎ミオ ライター・東京都自閉症協会副理事長)~ニューロダイバーシティサミットJAPAN 2024 元日企画~」の本編動画はこちら
尾崎さんと自閉症との出会い
尾崎さんが自閉症と出会ったのは2002年~2003年ごろ。当時、尾崎さんのお子さんは保育園で集団行動ができないと指摘されており、就学をどうしたらよいのか悩んでいました。書籍などで情報を集め、おそらく自閉症だろうと思っていたとき、心理の先生から東京都自閉症協会で講演があるから聞いてみてはどうかと言われたことがきっかけです。
講演のテーマは、「特別支援教育」でした。特別支援教育はLD、ADHD、高機能自閉症などの児童生徒の、教育的ニーズに応じて特別の教育的支援を行うものです。普通学級にいるような発達障害の人たちもサポートする教育制度がまもなく始まると聞いて、尾崎さんはとても安心したといいます。そして、その場で東京都自閉症協会に入会しました。
とはいえ、当時、尾崎さんのお子さんは自閉症、発達障害と診断されていたわけではありません。周りからは浮いているような状態でしたが自閉症の診断には至らず、また「よくしゃべるし知識もある」といった理由で児童相談所や特別支援学級にも相談に乗ってもらえませんでした。正式に自閉症と診断をされたのは、2019~2020年ごろなのです。
尾崎さんが自閉症協会に関わるようになったきっかけ
自閉症協会という存在を知って安心する人はたくさんいますが、活動に加わる人は多くありません。尾崎さんが自閉症協会で活動する原動力になったのは、「自分は自閉症協会の講演で救われた。もっと世の中に広めれば、救われる親子がいっぱいいるのではないか」という想いです。もともと情報収集が得意だった尾崎さんは、自ら名乗り出て広報部を手伝うようになりました。
また、尾崎さんは知的障害をともなわない自閉症を支援する活動にも取り組みます。当時の東京部自閉症協会には、知的障害をともなわない自閉症を継続して支援する活動がありませんでした。尾崎さんは「自閉症協会の中につくりたい」と自閉症協会に提案し、「高機能自閉症・アスペルガー部会」を立ち上げます。
2000年前後の自閉症への社会の認識
尾崎さんが活動をはじめた2000年前後は、一言でいえば、自閉症や発達障害を知っている人と知らない人の落差が大きい時代でした。
尾崎さんによると、特に子どもの分野では、一部の人は知的障害のない自閉症や発達障害、ADHD(注意欠如・多動症)などの人がいると認識していたそうです。また、尾崎さんのように知識を持った親は、学校に本や資料を持って行って「こういう子どもなんです」と先生に説明していました。
その一方で、学校の先生の多くは、知的障害のない自閉症をまだ障害と認識していなかったといいます。また、知的障害のある自閉症の子どもを持つ親たちからも、知的障害のない自閉症は「障害のうちに入らない」と思われている雰囲気があったということです。
さらに医師も、現在に比べて全体的に知識が乏しい状態でした。発達障害を診てもらえる専門的な医師はごく少数で、精神科の先生のなかにも知識がなかったり、発達障害という診断名を認めなかったりする人も多くいたのです。自閉症なのに総合失調症と診断されるケースや、医師の巡りあわせが悪く長い間子どもの症状がわからないケースも、今よりずっと多かっただろうと尾崎さんは語っています。
尾崎さんと発達障害者支援法との関わり
発達障害者支援法は、2004年に制定され2005年に施行されました。発達障害のある人はまわりの理解や特性に応じたサポートがあれば、仕事や学業などで力を発揮できるにもかかわらず、そのサポートが十分ではなかったからです。
尾崎さんは、この発達障害者支援法の制定にも関わっています。はじめは、自閉症の子どもを持つ親として国会議員たちに現状を伝えてほしいと頼まれて、参加したのがきっかけでした。しかし、その後、議員たちへの働きかけをしていた日本自閉症協会のキーパーソンが体調不良となったため、尾崎さんが引き継ぐことになったのです。
尾崎さんは発達障害者支援法の制定にもちろん賛成でしたが、活動を進めるうえで同時に不安を持っていました。というのも、「発達障害」と広くまとめることで発生するデメリットに不安を持っていた人たちが多かったからです。
具体的には、重度の自閉症の人が、知的障害のない自閉症やADHDなどと同じくくりになることで、十分なサポートを受けられなくなるのではないかといった不安の声がありました。その一方、発達障害の人たちのなかには、「重い」イメージのある自閉症と同じくくりになることに抵抗がある人もいたようです。
発達障害者支援法制定への動き
先に述べたように、発達障害者支援法は2004年に制定され、2005年に施行される流れとなります。発達障害を法律で定義付け、支援の内容を定めた発達障害者支援法は、諸外国と比べても先進的な法律でした。
尾崎さんによると、発達障害者支援法の制定で大きな力となったのは、当事者家族と支援団体、専門家、議員がネットワークで連携し、みんなで動いたことだったといいます。たとえば、野田聖子議員が活動に参加していた「アスペ・エルデの会」岐阜支部は、発達障害者支援法を成立させる推進力を生み出す場になっていました。
また、国会においては、超党派による「発達障害の支援を考える議員連盟」が法制定に大きな影響を与えました。また尾崎さんは、当時の小泉政権下では改革の機運が高まっており、発達障害者支援法が「障害者自立支援法」の大きな波に乗れたところもあったのではないかと分析しています。
発達障害者支援法へ抱いた期待
尾崎さんを含めた当事者家族たちは、発達障害者支援法の施行にどのような期待を持っていたのでしょうか。
尾崎さんが挙げたのは、発達障害というわかりにくい障害の存在が知られるだけでも、大きな前進になるという期待です。尾崎さんのような当事者家族は、いちいち子どもの発達障害を説明する面倒さや、ピンと理解してもらえないもどかしさを日常的に感じていました。こうした負担が減り、周囲の人とのコミュニケーションがスムーズになるだけでも、よい影響になるといいます。
逆にいえば、尾崎さんは福祉の中心に「ドン」と入るような支援策を期待していませんでしたし、それを目的に活動をしてもいませんでした。つまり、身体障害者や知的障害のある自閉症の人たちが受けている福祉サービスが、発達障害者支援法によって使えるようになることを、当時はあまり期待していなかったのです。「まずは発達障害という名前、概念を知ってね」というのが、尾崎さんの望みでした。
発達支援法制定時にあった懸念
それでは反対に、発達障害者支援法の施行によって、当事者家族はどのような懸念を持っていたのでしょうか。
大きな不安のひとつは「発達障害」という言葉が安易なラベリングに利用されるのではないかという心配でした。たとえば、「変わった子だから発達障害に違いない」というように、簡単に都合よく人をラベリングしてしまうケースがあります。
また、アニメやドラマなどでは、発達障害とされるユニークで天才肌な人物が活躍するシーンが増えました。この現象は「発達障害バブル」「障害のキャラ化」などと呼ばれています。しかしリアルの世界では、発達障害の人が周囲の人たちからリスペクトされているとは限らず、むしろ職場や学校でいじめにあってしまうケースも少なくありません。
ラベリングの懸念は、精神科医や一部の議員も持っており、法制定の際は慎重な姿勢や反対意見もありました。たとえば「発達障害の人が教室にいるからクラスがまとまらない」などと教育力低下の言い訳に使われる恐れがあるという意見が多かったということです。また、「発達障害という広いくくりを本当に作っていいものか」と不安視する人も多かったといいます。
こうしたラベリングの問題は現在も解決されていません。尾崎さんは「もう一度考え直さなきゃいけない一番のポイント」とおっしゃっています。
日本発達障害ネットワーク(JDDnet)の発足
発達障害者支援法が成立した流れで、日本発達障害ネットワーク(JDDnet)が発足しました。日本発達障害ネットワークは発達障害関係の当事者団体、学会、研究会、職能団体などのさまざまな人たちがつながるネットワークです。自閉症や学習障害、注意欠陥多動性障害などのある人の権利や利益を守るための活動を行っています。
日本発達障害ネットワークの発足当初の2005年~2006年は、混とんとした状態だったといいます。さまざまな参加者の意見や利害が合わず、対立することもありました。その一方、発達障害をめぐる状況をよくしようと、ワークショップや講演会、シンポジウムを活発に行うなど、関係者の熱量、活動量も多かったといいます。
現在、日本発達障害ネットワークの活動は、発達障害者支援法の定着もあって落ち着いています。当事者団体と専門家集団が集う日本発達障害ネットワークというベースを作れたことは、発達障害者支援法のよい意味での副産物だったといえるでしょう。
発達障害者支援法により発達障害への支援・認識はどれくらい変わった?
発達障害者支援法が施行され、日本発達障害ネットワークが発足してから20年ほどたった2024年現在、発達障害への支援・認識はどれくらい変わったのでしょうか。
尾崎さんがよくなったと考えているのは、以下のような点です。
- 発達障害という言葉が世の中に知られるようになった
- 精神障害者保健福祉手帳の交付を受けて、さまざまなサービスを受けられる
- 就労支援も充実してきている
その一方、今でも当事者家族が口をそろえて述べる不満は、「周りの理解が足りない」だと尾崎さんはいいます。たとえば、子どもの特性上必要なタブレットを先生に取り上げられたり、「感覚過敏なので席を変えてほしい」と頼んでも「障害を言い訳にするとわがままな子に育つ」と言われたりすることがあるようです。
また、発達障害の認知が広がるとともに、「自閉症=コミュ障・KY」などと誤った認識が増えた部分もあります。そのため、たとえば就職においては、企業側が「雇ってあげる」「訓練すればなんとかなる」など、間違った対応をしているケースが少なくありません。
このように、発達障害者支援法でよくなった面も多いものの、変わらない部分や新たな課題もあります。
「当事者の幸せにいかにつなげるか」が重要
昨年、尾崎さんは日本自閉症協会の理念を見直す取り組みに参加しました。そこで尾崎さんは、新たな理念を「HAPPY WITH AUTISM(ハッピー・ウィズ・オーティズム)」というコピーで表すことを提案しました。
「HAPPY WITH AUTISM(ハッピー・ウィズ・オーティズム)」とは「自閉症のまま幸せになろう」を英語にしたものです。このコピーを作った背景には、障害者の支援目標で過度に強調される「障害者ができないことを、普通にできるようにさせよう」という意識を変えたいという想いがありました。
発達障害の早期発見、早期療育(発達支援)が広がりすぎると、かえって本人が不幸になる場合もあります。尾崎さんは「自分の特性はそのままででも、一般社会で生きていく知恵も身に付けながら幸せになろうね」という動きが広がっていけばよいとおっしゃっています。
発達障害を考えることは人類の幸せを考えることにつながる
今回は尾崎さんの体験をうかがいながら、自閉症への社会の認識の変化や、発達障害者支援法で改善されたところや、今なお残っている問題などを紹介しました。
セミナーのなかで尾崎さんは、「発達障害を考えることは人類・社会の幸せを考えることにつながる」とおっしゃっています。尾崎さんが日本自閉症協会の理念として作った「ハッピーwithオーティズム(自閉症のまま幸せになろう)」という理念は、その幸せを考える大切な視点となるでしょう。
Kaienも、発達障害の人が自身の特性や強みを生かして仕事ができる「ニューロダイバーシティ社会」の実現を目指しています。そのためにKaienは、発達障害の人の雇用は企業に利益をもたらすという「社会の接点」を大切にしています。発達障害の方が仕事を通じて、社会との接点を持っていると思えることは、本人の幸せにつながるだけでなく、その家族や周囲の人の幸せにもつながっていくでしょう。
今回の記事では紹介しきれなかった、貴重なお話や具体的な質問にも答えていただいているのでぜひ動画も併せてご確認ください。
2024年1月1日開催のオンラインセミナー「当事者家族が考える発達障害者支援法 (講師:尾崎ミオ ライター・東京都自閉症協会副理事長)~ニューロダイバーシティサミットJAPAN 2024 元日企画~」の本編動画はこちら
*発達障害は現在、DSM-5では神経発達症、ICD-11では神経発達症群と言われます
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