ある時、天から「岡本太郎」という4文字の言葉が頭の中に降りてきたんです。調べてみたら、ああ太陽の塔を作った人なんだと分かりました。それからいろいろ調べてみたら作品はもちろん、生き方や考え方とか、惹かれるところがたくさんあって。それがデザインに興味を持ったきっかけでした――。
そう話すのは、美大を卒業されてから、業務委託でデザイン関係のお仕事をされていたというSさん。その後、正社員としての就職を目指すために、就労移行支援事業所Kaienにつながっています。
本記事では、独創的な感性を持つSさんのこれまでの生き方や、デザインに対する熱意を中心にお話を伺いました。
幼い頃から独自の視点と感覚を持っていた
幼い頃は絵を書いたり、お人形遊びをしたり、一人で遊ぶことが多かったです。特に友達が欲しいわけでもなく、寂しいということもありませんでした。小学校5年生くらいまではずっとそんな感じでしたね。
両親からはよく泣く子だったと言われていました。でも、悲しくて泣くわけではなく、泣いた方が周りの大人が構ってくれるという意識があったのかもしれません。よく子ども同士が喧嘩していると、怒っている子が注意されて、泣いている子の方を味方してくれるじゃないですか。それを見ていて、これはとりあえず泣いておいた方がいいんだなと、子どもながらに思ったことを覚えています。
転機となったのは、小学校6年生の時です。担任の先生がいわゆる熱血教師と呼ばれるような方になってしまって。ルーキーズに出てくる先生みたいだったんです。一人ひとりに発言を求めるような方で、何か話さないと教室にいるのも許してもらえないような空気だったので、そこで頑張るしかないと思いましたね。
それからは、自分から友達を作るようになりました。もともと、人間関係にあまり興味がなかったのですが、その時は頑張って行動しましたね。けど、思ったよりも友人関係が広がりすぎてしまって、途端に付き合いが面倒に感じるようになってしまったんです。そんな経験から、もっと好きに生きたいな、周りとズレてていいやと思うようになりました。
子どもの頃からあった違和感の正体
発達障害*の特性で、一番困ったのは「視覚過敏」です。子どもの時に、弟と一緒にDSのゲームにハマっていたのですが、画面を一番暗い設定にしても眩しくてすごく辛かったんです。でも、どうしても遊びたかったので、目を細めながらやっていました。
あとは、人が何を言っているのかがよく分からないということがありました。話しかけられた時に気付かないことも多くて、人の声じゃないと思って適当に流していたら、実は話しかけられていたということもありましたね。
周囲と違うなと感じたのは、自分は興味がないことに関しては本当に興味が持てないということ。大学生の時に大学1年生の時から付き合っているカップルがいたのですが、私は大学4年生の時に初めて知ったんです。周囲の人はみんな知っていたので、そもそもあんまり興味がなくて聞き流していたのかなと思いました。
熱意を持ってデザインと向き合った学生時代
デザインに興味を持ったのは、「岡本太郎」がきっかけです。ある日、天からインスピレーションが降りてきて、本当に一目ぼれというか、運命のような感じでした。そこから、デザインの道を目指すようになり、高校・大学とデザイン関連の学校に進みました。
今はデザイン関連の作業については、1日に6〜8時間くらい取り組んでいると思います。でも、大学生の時はもっとやっていました。作業する時間帯は関係ありませんでしたし、生きている間はずっと作業をしていた感じです。そのせいで、身の回りのことや生活面のことを疎かにすることも多かったですね。
けど、学生時代は周りにもっと集中して作業している人がいたので、自分はまだまだ足りないなと思っていました。時には、〆切に間に合わせるために同窓会に参加しなかったこともありました。
大学生の時の出来事で、特に印象深く覚えているのは、卒業制作の課題で作った作品です。その課題は、教授からの講評で、良い評価をもらわなければ卒業できないという決まりがありました。そこで、最終の講評でプレゼンをした際に、教授のひとりから「下手」という言葉をもらったんです。一瞬フリーズしてしまって、ああ留年するんだなと思いましたね。
けど、そこから数人の教授が集まって目の前で議論をし始めたんです。5分ほど話し合った結果、「作品から熱意がすごく感じられる」と言っていただき、無事に卒業することができました。
美大の中は ”同じ志を持つ仲間” で溢れてるから心地よい
高校や大学は、とにかくADHD気質の人が多い印象でした。診断済みの人もいましたし、未診断の人でもそうなんじゃないかと思う人はたくさんいました。正直、発達障害かどうかに関わらず、美大には結構変わっている人が多かったですね。
個人的に発達障害の方たちは、頭の引き出しが多くて、アイデア出しに長けていると感じる人が多いイメージです。グループワークでは、ブレーンストーミングの方法でアイデア出しをすることが多かったのですが、その人たちは付箋をどんどん貼って、どんどんアイデアを出していくので圧倒されたのを覚えています。
あと、美大の人たちの良いなと思っていたことは、一体感というか、寛容な部分があるところです。そのため、発達障害をカミングアウトしたところで、周囲の反応が変わることはありません。たぶんそういう部分に関して、みんな気にしていないし、自然に配慮があるような環境だった気がします。良い意味でデザイン以外に興味がないという感じでしょうか。
そのせいか、中には大学の外の環境を極端に怖がる人もいました。変わり者として扱われてきてしまった人が多いせいか、美大の中では自然に共感し合えるんですよね。私自身も、外に一歩出ると話が合わないなと感じることが多かったので、居心地がとても良かったです。
発達障害は個性であり、自分の武器でもある
デザイン分野において、尊敬できる人はもちろん岡本太郎です。彼の信念というか、決して媚びない性格も気に入っています。日本中に名を残すような大きな仕事をしているのに、褒められたり、他人から媚びを売られたりするのをすごく嫌がる性格なんですよね。でも、そういう姿勢があるとずっと成長できるのかなと思います。
今努力していることとしては、頭の引き出しを増やすことです。例えば、映画館にあるフライヤーをできる限り集めて、それをPCで常に見られる状態にしています。あとは、notionというアプリを使って、様々な情報を集めるようにしています。どこからインスピレーションが降りてくるか分からないので、政治、労働、世界史、心理学など、いろいろな知見に触れるよう意識していますね。
今後の展望としては、趣味で詩集を作っているので、いつか自分の特性についても扱いたいと考えています。今後は、発達障害をひとつの武器、個性として創作活動をしていきたいですね。
また、将来的にはデジタル庁のデザイナーになることが夢です。これからデザインの実力をもっと付けて、国全体のデザインの改善をしていけるようなデザイナーになりたいと思っています。
(資料①)
上記はSさんが実際に制作された本の表紙デザインです。
(資料②)
Sさんが詩集を制作される際のアイデア出しボードをご紹介。アイデアが思いつく時は、ああでもない、こうでもないと手を動かし続けている時なんだそうです。
*発達障害は現在、DSM-5では神経発達症、ICD-11では神経発達症群と言われます