シリーズ『医師と語る 現代の発達障害』
雅弘 → 1st STEP こころのクリニック 鈴木雅弘医師
慶太 → 株式会社Kaien 代表取締役 鈴木慶太
慶太) このシリーズは若い医師に話を伺おうという趣旨なんです。
雅弘) 全然若くないですけれどもね。30歳ぐらいで医学部に入って、だから医者になって15年経たないぐらいなんです。
慶太) 医者になったきっかけは?
雅弘) はじめは音楽で食っていこうと思っていたんです。でも大成功というわけにいかず、オヤジの軍門に降ったんですね。オヤジは幼稚園を運営していまして、そこで働き始めたわけです。
働くうちにいろいろ見えてきたんですね。30人の子どもを一人の先生が見るとか…。子どもよりも親とのやり取りに気を使うとか…。なんじゃこりゃ~と思っていたんです。オヤジとの反りも合わないし。 逃げようと思ってアメリカに逃げてしまったんです。貯金を持って。ニューヨークの大学で心理学を学んだんですね。幼稚園教諭の免許を取ったときに習った児童心理が面白くて、もっと学びたいなというのもありました。
ただアメリカで心理士になるのは10年単位でかかって大変なんですね。 アメリカに長くいるのも疲れちゃって、どうしようと思って、日本に帰ってきました。オヤジが自分のことを医者にしたいということは知っていたんで、医学部だったらサポートしてもらえるだろうと。ただのボンボンですね。それで医者になっちゃったという感じなんです。
慶太) いま幼稚園はどうなっているのですか?
雅弘) 優秀な妹がしています。問題ないです。私みたいなアホじゃないので。
慶太) 発達障害はどのように出会ったんですか?
雅弘) 僕が医者になったのは13~4年前(注:2005年)ですけれども。その頃は発達障害なんて医学部の授業で習わなかったんですよ。自閉症や知的障害を少し学ぶぐらいでしたかね。就職先を探して子どもを専門にしたかったので、東京大学医学部附属病院の「こころの発達診療部」を見にいったんです。子どもといえばあそこぐらいしかない時代でしたから。
見に行って、結局あまりの先生たちの優秀さにビビって医局には入らなかったのですけれども、妻を一本釣りをしてきました。心理士なんですよ。彼女が発達障害の専門家だったんです。1990年代からやっていると思うので、パイオニアチックな感じなんですよ。そこで発達障害に出会ったんです。ほとんど妻から学んだんです。
精神科で出会った大人の発達障害
慶太) はじめは成人向けの精神科で勤務されていますよね。
雅弘) はい。最初は成人向けの精神病院で働きました。なので妻から聞く発達障害なんて、生まれつきのもので治せない。精神病院でやるものかい、と思っていたんです。
大人の発達障害を強く意識するようになったのはあるエリートサラリーマンですね。はじめは寝られないという訴えでした。でも寝られないだけではなく、半分アル中だし、いろいろ生活や思考がぶっ飛んじゃっているのです。あの当時の僕らだったら、急性一過性精神病と診断している状態でした。 ただしよく聞いているとうちの嫁さんが言うままのものが見えてくるんですね。超一流大学を出て、一流銀行に入り、経理をしていれば10人前ぐらいこなすので、30代前半で課長になった。でもその頃、吸収合併になって営業に回されたんです。
主訴は「部長に宴会の準備ができないとどやされる」。何の話?と思ってました。経理ができるのに宴会の準備ができない、という衝撃の話だったからです。その他にも、仕事に行けなかったら死ぬしか無いですか。白黒思考ですし短絡的なんですよ。まさにうちの嫁から聞いたような話だなぁと。
その後入院すると、躁転してフェラーリを買おうとしたり、いろいろな症状が吹き出してきた感じだったんですね。精神科一元論というのもあるんですけれども、そういうのもそこで見せられる感じで。 私も会社にいっぱい手紙を書いたんですよ。広汎性発達障害と書いて経理に戻してやってくれないかと。10年ぐらい前の話ですね。吸収合併された側だったので結局戻れませんでした。
その後彼は生活保護なんです。衝撃すぎませんか?精神病状態に陥る部分というのは、本人の課題もあるのですが、環境があっていないということが何よりも大きいんだなと思い知った事例でした。
構造化!終了!
慶太) 児童・思春期はいつ頃からですか?
雅弘) 齊藤万比古先生が好きで、千葉の国府台病院のボスだったのでそこで働きたいと思ったんです。精神分析系の先生なんですね。元々、成人に進路をとったのも、齋藤先生に「まず大人をやりなさい、それからいらっしゃい」と言われたからですね。 でも、実は国府台にはいかなかったんです。齋藤先生は好きだったんですが、安いんですよ国立病院の給与は…。それで国府台病院は難しいと思い、元梅ヶ丘病院の都立小児総合医療センターに勤めました。都立は残業代が出たので。それでも低かったんですけれどもね。
ご存知の通り、梅ヶ丘の時代から都立小児総合医療センターは発達障害の総本山みたいなところです。最初は衝撃でしたね。何を診ても患者さんを発達障害とつけて、「構造化!終了!」みたいな。そんなんでいいのか!みたいな印象でした。今までやっていたこととまるで違うんですよ。今までは、お話をよく聞いて、薬をあげて、休ませてあげるというスタイル。でも都立小児総合医療センターは、一日のスケジュールをつくって、トークンエコノミーみたいな療育のスタイルが始まるんですよね。 そこにいて発達障害の概念をガッツリ入れられて、逆に精神病の概念がないぐらいの感じでしたね。
最初は「えーっ?」と思ったんですけれども、「確かにそっちが先だな」と言う気がだんだんして来たんですね。やっぱり社会性の問題があって、はみ出てから、症状が出ている。大人を診ていた時は、症状が発生したから引きこもった。発症したから不登校になったと習っていたんですけれども、どうも違うんですよね。例えば強迫性障害の場合、強迫性障害になったから学校に行けないのではなくて、友達と上手くいかなくなったから、家で強迫の症状が出ている感じだけの気がするんです。そっちのほうがピンとくるようになったんですよね。
ただし本人の向き不向きを考えない構造化はうまくいきません。小児総合医療センター副院長の田中哲先生がおっしゃる通り「愛なき構造化は虐待である」になってしまうんです。
第1回 愛ある構造化を目指して
第2回 すべての症状は発達障害に通ず!?
第3回 Kaienはスパルタが足りないのでは?
鈴木 雅弘 医師
精神保健指定医
1st STEP こころのクリニック 院長
1st STEP こころのクリニック
心療内科・児童精神科・思春期精神科・精神科
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